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私がお母さんでごめん。16歳の長男に謝った日。

わが家には、16歳・高校2年生の長男がいます。毎日楽しそうに学校に行っている、元気な男の子です。母としてはたくさん話を聞きたいところですが、休日も遊びに行くことが多く、そしてイマドキの高校生らしく家ではスマホが手放せないため、なかなかそんな時間は訪れません。これが高校生の普通なんだとは思います。そしてこれまた普通だとは思いますが、本当に自由! ”家族<友達•自分” のため、やって欲しいことはほぼ何もやってくれません。普通のお母さんなら許容できるのかな。私は心が小さいんだと思います。
母のようにはなれない
反抗期がひどかった私。世の中の大人が全員敵だと思っていた中学時代。高校の頃はとにかく自由に、自分の好きなように生きていた気がします。だからすっごく分かるんです。長男の気持ち。でも、だからと言って自由に生きる長男を許容できるわけじゃない。元気に学校に行って部活をして友達と遊んで、毎日本当に楽しそうでいいじゃないかとはたから見れば思うかもしれません。でも家でのルールは守って欲しいし、やることはやって欲しい。大事なことは話して欲しい。そういったことが重なると、私はダメになってしまうことに気が付きました。心が平和でいられなくなってしまうんです。本当に心が小さいダメな母です。自分の母の偉大さを思い知らされます。うちの母はすごい。でも母のようにはなれない・・・
長男に謝った日
長男は、どんなに私とケンカをしていても、「いただきます」「いってきます」「おやすみ」を言う子です。どこに出しても恥ずかしくない子に育ってくれたと思っています。でも、帰ってきても制服はかけないし、風邪気味でも夜更かしをして悪化させるし、話し合って決めた約束も守りません。高校生なんてそんなもんだよというパパの言葉も理解してはいるんです。でも、3日も4日も1週間も続くと限界。いい加減にしてくれーーー!となってしまう私。そんなある日、長男に話しました。
私はできるお母さんじゃない。いつもこんなにグチグチいうお母さんでごめん。私がお母さんであなたは可哀想だと思う。でも親ガチャで、申し訳ないけど私がお母さんになっちゃった。だから約束守ってくれなきゃ言う。これからも。ごめんね。
2025.05.11
はじめはめんどくさそうだった長男も、真剣に謝る私の話を最後まで聞いてくれました。そしてその後。帰宅が遅かった日曜日の夜。
「これ、母の日。」
そう言って初めて自分のお金でプレゼントをくれた長男。すごく悩んだというプレゼントは、サーモスの水筒でした。ズボラな私のために食洗機対応のものを見つけたとのこと。大きさも色も悩んで決めたと。そしてラッピングしようと紙袋も探しに行き、メッセージを見てこれしかないと買ったそう。涙があふれました。

小さい頃の習慣は消えない
16歳まで育てて感じたことがあります。それは、挨拶をする・食べ終わった食器を片付ける・言葉遣い などの習慣は、小さい頃に身に付いたら消えないということ。まさに育ってきた環境だなと実感しています。もちろん反抗期・思春期を経て多少の変化はするかと思いますが、根底は消えないと信じ、6歳の長女とも向き合っています。
余談ですが、長男は初めての言葉が「ママ」ではなく、「いたーま(いただきます)」でした(笑)。

長男へ。あなたがいてくれて私は本当に幸せです。