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同じような経験をした誰かへ「心拍が止まった日の話」

3人目の妊娠がわかったとき、実は生理不順で生理が来ず、まさかの妊娠で、とても嬉しかった。
次男のときには、二人目不妊で病院へ通っていた。
今回は自然妊娠だった。
長男とは11歳差になる赤ちゃん。上の子たちはきっと立派なお兄ちゃんになるだろう。
そんな未来を想像して、楽しみで仕方なかった。
確かに、生きていた
少し前の健診までは、小さな心臓がぴこぴこと動いていた。
先生は「順調ですね!」と言っていた。
「ああ、ちゃんと生きている。」
そう思えた瞬間、安心とうれしさで胸がいっぱいになった。心拍が確認できて、すっかり安心していた。
しかし、数週間後の健診。
「どのくらい大きくなっているかな〜」
脳内お花畑の私はなんの不安も感じていなかった。
しかし、医師の表情が硬くなった。エコーを何度も動かしながら、言葉少なにこう告げた。
「……心拍が見えないね。」
頭の中が真っ白になった。一気に地獄に突き落とされたような感覚だった。
そして、時間だけが止まったようだった。
「来週もう一度、確認しましょう。」
そう言われてからの1週間は、希望と覚悟の間で揺れ続けた。
「また心拍が見えるかも」
「もうダメかもしれない」
気持ちは毎日のように行き来した。
再診。再びエコー画面に映し出されたのは、静止したままの姿だった。
医師ははっきりと言った。
「残念だけど、赤ちゃん亡くなってます。」
赤ちゃんはもう育っていなかった。
心拍は止まり、私のお腹の中で静かに留まっていた。
出血も痛みもなく、実感がなかった。
先生も看護師さんも、「わたしのせいではないよ。」と言ってくれた。
でも…
お腹の中で生きていた命が亡くなるということ。いくら「ママのせいではないよ!」と言われても、自分のせいなのではないかと責めてしまう気持ちが強く、しばらくは悲しく辛かった。
ある程度赤ちゃんは大きくなっていたため、手術が必要だった。心は置いていかれたまま、色々と決まっていった。
実は、流産が確定した日。私は、子どものようにワンワンと泣いた。
泣いても泣いても、涙は止まらなかった。
もうすぐ40歳になる年齢なのに、母親に電話をかけた。
言葉にならないまま泣きじゃくる私に、母はただ「悲しかったね」とただ話を聞いてくれた。
それに、私は救われた。
その日、私は泣き尽くして。。
翌朝、目が覚めると、なぜか心が少しだけ軽くなっていた。
ふと思った。
これから、もっと上の子たちを大切にしよう。
今、目の前にいる命を、もっと抱きしめよう。
そう思えるようになったのは、きっとあの子が教えてくれたからだ、と思った。

今まさに、心が張り裂けそうなあなたへ
泣いてもいい。何も感じられない日があってもいい。
何歳になっても、悲しいものは悲しい。
どれだけ経験を重ねても、強くなったつもりでも、命を失うことはやはり辛い。
第1子であろうと、第3子であろうと、それは変わらない。
悲しくても、私には2人の息子がいて、生活もあって、その忙しさに救われているのかもしれないけれど。
どの命も、たったひとつの尊い存在で。
だからこそ、泣いて、泣いて、立ち直って。
その繰り返しの中で、人はまた歩いていけるのだと思った。
私も今はもう前を向いています。