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わが家のリアルな双子育児7年記~驚きの双子発覚!不安を吹き飛ばした家族のリアクション~

最近ニュースで、タレントの中川翔子さんが双子をご出産されたことが話題になりました。
SNSで妊娠中から出産までの様子を発信されているのを見て、「あぁ、私にもこんな時期があったな」と懐かしく共感しつつも、「がんばってる!寝られるときにしっかり休んでくださいね~!」と思わずエールを送りたくなります。
わが家の双子は今年で7歳。今では2人そろってランドセルを背負い毎日元気に登校していますが、経産婦だった私でさえも双子の妊娠~出産は未知の世界でした。そして新生児期~幼児期は毎日がサバイバル!
そんな怒涛の7年間を、少しずつ振り返ってみようと思います。
第1回は【双子妊娠発覚】のリアルをお届けします。
妊婦検診でまさかの双子発覚、忘れられない先生(ドクター)の言葉
最初に双子と聞いたのは妊娠初期の検診でした。不妊治療専門の産婦人科で妊娠前から検診を受けており、排卵誘発剤を服用しての妊娠だったため「多胎の可能性」を全く考えなかったわけではありませんでした。それでもエコーで「胎のうが2個みえますね」と言われたときにはさすがにプチパニックでした。私も一緒にエコー画面を見て、2つの胎のうをしっかりと確認しました。
その時すでに1歳半の長男がいたので、双子となると一気に子どもが3人。わたしに育てられる?という漠然とした不安に襲われました。
そんな私の心中を知ってか知らずか、先生は「神様の思し召しだね」とひとこと。私自身は特別「神様」を信仰しているわけではありませんが、医療という科学の現場でそんなふうに言われたのが少しおもしろく、「じゃあ仕方ないか」と腑に落ちたのを覚えています。
さらに私が診察室を出た後、診察室の中から「双子だよ!!久しぶりだなぁ!」と何やらナースと盛り上がっている先生の声が…。その声の明るさに「双子、貴重なのかな?なんだか喜ばれてるな」と、不安の中にほんの少しおめでたい気持ちが湧いたのを今でも覚えています。

双子妊娠に突きつけられる現実、情報の少なさ
診察室を出てすぐ、双子妊娠についてネット検索しました。検索結果には、こんな言葉が並んでいました
・安定期が無い
・早産のリスクがある
・妊婦検診が単胎より多い
・妊娠後期には管理入院が必要なことが多い
とにかく「ハイリスク」という言葉が目立ちました。双子にも二絨毛膜二羊膜双胎(DD双胎)、一絨毛膜二羊膜双胎(MD双胎)、一絨毛膜一羊膜双胎(MM双胎)という3種類があることも、そこで初めて知りました。
私の場合は確実に二卵性だったので、双胎の中では一番リスクの低いDD双胎でしたが、とにかく「出産は里帰りする?しない?」「育児はひとりでできる?」など、現実的な不安が重くのしかかっていました。
また、当時は双子妊娠・出産の体験談を検索してもあまり出てこず、情報が少ないことも不安を感じる大きな要因のひとつでした。
”不安”を”楽しみ”に変えてくれたのは家族のリアクション
双子妊娠を最初に報告した相手は義母でした。検診後、自宅に戻ったタイミングで電話がかかってきたので一人では抱えきれず、思わず真っ先に伝えました。すると「すごい!よかったね!」と手放しで喜んでくれました。
次に、仕事から帰宅した夫に「検診で双子と言われた」と伝えました。夫もやはり「すげー!やった~!」とバンザイまでして喜んでいました。夫に関していえば、37歳のときに長男を授かり、その後「40歳までに子ども3人がいいな」などと現実的ではない軽口を叩いていたので、まさに“有言実行”——言霊となったわけです。
さらに翌朝、実家の家族にはLINEで伝えました。すると母は「楽しみね。笑顔しか出ないね」と喜び、姉も「ふたごちゃん!!」と喜び、父(薬剤師)は「葉酸サプリメント飲んでる?送ります」と、現実的なサポートの言葉をかけてくれました。
無責任なまでの家族の喜びように、当時の私は拍子抜けしました。でも同時に、「いろいろと不安に思っていても仕方ないか。やるしかない、楽しもう!」という気持ちに切り替えて、双子妊娠生活をスタートすることになりました。
こうしてスタートした私の“二人分の妊婦生活”。
次回はわんぱく2歳の長男を育てながらバタバタと過ごした【双子妊娠中のリアルな日々】をお届けします。
あのとき私の不安をよそに喜んでくれた先生、夫、義母、実母にはずっと感謝しています!