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早生まれは不利なのか?9年間の育児で思うこと&最後のご挨拶
先日、やっっっっっと一人っ子で早生まれの娘が、9歳になりました。
よく、「早生まれは他の子と比べて一年遅く生まれてくるので、成長が追いつけなくて不利」と言われますが・・・
実は私もそれについてはよく悩んでいました。
同じような方ももしかしたらいるのかな?と思うので、娘の過去と現在、それから他のお子さんたちと一緒に過ごしてみて思うところを記事にしたいと思います。
未就園児の頃
赤ちゃん〜未就園児の頃の話。
赤ちゃんて月齢によって発達段階がはっきりしていて、だいたいみんな同じような時期に同じように育っていくじゃないですか。
それこそ、赤ちゃんの育て方〜みたいな育児本にあるように、三ヶ月すると首がすわる、五ヶ月で寝返りをする〜みたいな感じで。
なので、未就園児の頃までは、はっきりと「早生まれ」ってことがわかります。
でも、あんまり気になりませんでした。
むしろ、早生まれなので、「育児が楽」とさえ感じることもありました。月齢が上の子たちと一緒に過ごしていると、娘がそういう子たちの真似をして、どんどん成長していくのが見えたからです。
特に楽だったのがトレイトレーニング。
トイレに行くお友達をみて、娘が真似をしてトイレに行くようになったのはありがたかった・・・・
幼稚園年少の頃「本人が早生まれであることに気づいてしまった」
この頃も成長段階の差がはっきりしている頃でした。
特に体格、運動能力の違いは本当にはっきりわかりました。
娘が何かできなくて泣くこともよくありましたが、「練習すればできるよ〜一緒にやろうね〜」と言い聞かせていました。
そのとき、「早生まれだからみんなと同じようにできないのは仕方ないよ」と「できない理由を早生まれであるせい」にはしないようにしてました。
でもね〜・・・・・
いつの間にか、
娘が「みんなより生まれたのが遅いからできない!」と言いながら泣くようになりました。
親が、一生懸命、気をつけて「早生まれ」という言葉を使わなくても、どこかしらで言われてしまうのですね。
で、本人が「自分は早生まれだからできない」と思い込んでしまう。気をつけないと、本人の中で、「できないのは早生まれのせいだから、私は頑張ってもできない」という思考になってしまいます。
この頃から、「早生まれをできない理由にしない」ことが私の育児のポリシーになりました。
幼稚園年中「誕生日が遅いことがコンプレックス」
年中時代、
娘「できない!」
私「できるよ!」というやりとりを繰り返したような。
娘は年少の頃からモダンバレエを習い始めましたが、とにかくできないって言ったような。
でも、できないなら一緒に練習しようね、と言い聞かせて一緒に頑張りました。
そんな娘は、「誕生日が遅くて嫌だ」とよく言っていました。
幼稚園ではその月の最後にその月に生まれた子の誕生会をやりますが、自分は一番最後になるから、ずっと待つから嫌だと。
「誕生日がきらい」とまで言っていました。
娘を頑張って産んだ親としてはちょっと悲しい・・・
なので、「お母さんは3月が好きだよ!」といつもポジティブに返していました。
「ひなまつりがあるよ!」
「年中の一番最後の月に、一年間頑張ったご褒美みたいに桜が咲く月なんだよ、きれいだよ」
「なによりかわいい赤ちゃん(娘)が生まれてきた月だよ!」
と。
他にもいろいろ言って、娘の気持ちをいい方向に盛り上げようと頑張った気が。
幼稚園年長「母は小学校生活が不安になる」
年長。
娘も三年間通った幼稚園の最年長。
体格にはちょっと差があるものの、この頃には「できない」コールがだいぶ減ったような?
年長であるという自信が貫禄に見えました・・・笑
でも娘とは裏腹に私はちょっと不安でした。
年少の頃みたいに、「自分は生まれたのが遅いからできない」という状況がまた繰り返されるのでは?という気がして。
なので、手首のスナップを上達させるように迷路をたくさんやったり、数字の概念に強くなりそうな絵本を読み聞かせしたりしました。
ただ、決して小学校の内容を先取りしようとはしませんでした。
早生まれでまだ思考力も未熟な段階で先取りしても、難しいだけで、辛いだろうと思ったのがいちばんの理由です。
だから、先取りをするのではなく、小学校に入学した時に、先生の話をすぐ理解できるような準備だけはしておこうと思ったわけです。例えば、迷路やお絵かきをたくさんやっておけば、手首のスナップが器用に動かせるようになるんですよね。これは、ひらがなやカタカナをきれいに書くための準備です。
こういう小学校生活をスムーズにするための下準備になりそうなことを、片っ端からやっていました。
入学してから一年間「あれ?早生まれどうなった?」
一年生の時、私が「年少の頃のようにできないことがたくさんあったらどうしよう」と心配したようなことは何も問題がありませんでした。
まず、小学校は幼稚園ほど親の目が行き届かないので、娘が何かできていなくてもあんまり見えない(笑)
っていうことも理由の一つかもしれません。
勉強面では、公立小学校なら、担任の先生が出してくれた宿題を必死にやっていれば、そんなに差は出なさそう。
運動面では、やっぱり少し運動神経の差はあったように思うけど、小学校一年生くらいなら、親と一緒に縄跳びの練習したりしていればそのうちなんとかなる感じでした。
親は心配してたけど、娘はお友達がたくさんできたりして、なんかとても楽しそうでした。
本人の中で「私は早生まれだから」という意識が完全に消えた瞬間
そんな感じで、小学校に上がってからは、体格以外はだいぶ他のお子さんと同じくらいに見えていました。(気のせいかもしれないけどw)
そんな中で、娘の中で「私は早生まれだから」という意識が完全に消えたと私が感じた瞬間がありました。
それは、小学校一年生の時の習い事のモダンバレエの発表会。
娘はモダンバレエを年少から習っていますが、小学校に入ってからも続けていました。
毎年冬に発表会があるのですが、それに向けてダンスの練習をたくさんしました。
で、本番は幼稚園の先生が見にきてくださったんですよ。
そうしたら、「みんなとても上手になったね〜」と褒めてくれて・・・・・
その時かな、と思います。
娘のなかで「私は早生まれだから」という意識が消えたのは。
本人の中で、「頑張って練習すれば、みんなと一緒に上手にダンスできる」という感情が生まれたようです。
何かができるできないというのは、「早生まれとは関係なく、練習量が大事」ってことに気づいたみたいです。
その後、娘はもうすぐ4年生にある今でも、毎日ストレッチを欠かさないし、ダンスの後は帰宅後も振り付けの確認をしています。
育児をしながら気をつけてよかったこと
娘の成長を通して思ったことは、
何かできなかった時に、本人をなぐさめるつもりでも、
「あなたは早生まれだから、できなくても仕方ないんだよ」という言い方をしなくて本当に良かったということ。
娘をはげますつもりで、「早生まれだから」と言ったとしても、それを言われた娘がネガティブな受け取り方をするかもしれないんです。
気をつけないと、娘の中で、
「早生まれだから何をしてもできない=努力しても無駄」という考え方になってしまうと思います。
もうすぐ4年生になる今、
「できないのは早生まれだからではなく、練習していないから。
練習すればなんだってできるようになる!」
という考え方を、娘が身につけてくれて本当に良かったと思っています。
こう考えていくと、子供の成長って生まれ月に左右される面もあるけど、いちばん大事なのは「親と本人の考え方なんだ」と気づきました。
さて・・・・
そんな娘と私のいろいろを綴ってきたこのブログですが、この記事で最後になります。
娘が年長のころから4年間に渡り、いろいろ書かせてもらえて、とても幸せでした。
今期は、ちょっといろいろあって記事をたくさん書くことができなかったのが心残りです。
本当はもっと書きたいことがあったんですが・・・
例えば、
「する?しない?中学受験。全く検討しないのは危険・・・?」
「小学生の暴走自転車を止めた近所のママの魔法の一言」
「長〜い休校!みんなお家で何してるの?我が家の場合&母としてきづいた事」
「子供にたくさん勉強させるときの罪悪感の正体は何だろう」
「小学生の読書のステップアップ!絵本や児童書を卒業するのはいつ?」
「子を愛せない親と親を愛せない子の葛藤の行く末」
とか、
あとは、ママ友関連の話、実母と娘の確執とかいろいろ。
どっかで書く機会があればいいなあ。
まあ、それはまたいつかどこかで!
では、最後になりますが・・・
私の拙い文章を読んでくださった方々、同じくあんふぁんメイトでたくさんランチしてくれたみんな、私をあんふぁんメイトとして拾ってくださった編集部の皆様。
本当に、本当にありがとうございました。