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保育園連絡カードは父担当だけど母が書いていると思われていた話
2歳弟君の保育園でこの1月から手書きの連絡カードが廃止になり、アプリ登録制度に移行しました。我が家では保育園連絡カードは父担当で、間もなく5歳のお姉ちゃんの時から数えると約4年くらい毎朝書き続けてきたと思うとなんだか感慨深い気持ちです。
そんな父担当の保育園連絡カードの話、良ければお付き合い下さい。
保育園連絡カードの書き方の工夫
体調面や機嫌など共有しなければならない情報は正確かつ簡潔に共有することを意識しつつも、なるべく形式だけの連絡にせず、日常のこんな事がありましたといったリアルエピソードを入れるよう心掛けてきました。
子供が良く言い間違えている「お金のことを”つくね”と言います」といった言い間違いの共有であったり、「毎日トーマスで遊んでいます」など家でハマっていることなど、毎日何かしらのエピソードを入れるようにして先生とコミュニケーションを取ってきました。そんな私が気付いたのは「悲惨エピソード」はウケが良いということです。
「〇〇ができるようになりました」みたいなハッピーなエピソードも勿論良いと思うのですが、「〇〇みたいな悲惨な目に合わされまして苦笑」といったエピソードの方が「パパさん大変でしたね」と面白がって先生方が話しかけてくれてコミュニケーションが円滑になりました。
先月のとある連絡カードの話
上記のような流れで、先日「朝から公園の散歩に付き合わされて寒いです」みたいな悲惨エピソードを連絡カードで共有したんですね。そしたら、先生から返ってきた連絡カードの返信内容がコレでした。
「寒い中、朝の公園におつきあいしているママは立派ですね!」
朝の寒い公園に付き合わされたのは父で、なんならこの連絡カード書いているのも父なんですが・・・苦笑
父が書きましたと書かなかったのはわかりづらくて申し訳ないんですが(※毎回(父)と書いとけば良かったのかな?)、連絡カードを父が書いているかも、と、1mmも想像しないくらい父が書くケースが少ないのかなと、純粋に疑問に思いました。
先生に悪気はないと思うので全然大丈夫なのですが、そういえばこの手の少しモヤモヤした気持ちになることって他にもあったなと思い出したんです。
育児女性偏重社会
父親として育児に一生懸命向き合っていると定期的に出会うこの「女性育児偏重社会」のモヤモヤした違和感、皆さんも感じたことありますでしょうか?
半分は自分が乗る自転車を「ママチャリ」と呼んだり、童謡「あめふり」の歌詞はお母さんがお迎えに行く前提の歌詞なっていたり、絵本はお母さん目線の描写ばかりで「お父さん」目線の絵本は一切なくお父さんも同じようなことを考えているんだけどなぁといつも思います。
娘が1歳半くらいの頃、私が区の歯科検診に連れて行ったら「お母さんは育児に疲弊していないですか?」と聞かれたこともありました。父親が連れてきているのになんで母親のことを聞くのだろう?と疑問に思ったのですが、恐らく「母親が来ない→育児疲れで行けない→父親が来ている」といった事を考えたのでしょうか・・・(意図は未だにわかりません)
最後に
日本は非常に育児が女性に偏重している歪んだ社会だと常々思いますが、この社会状況を未来の子供世代にそのままにしてはいけないとも強く思うところです。微力ながら自分にできることをしていきたいなと思っています。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!