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“教育虐待”と“親心”の境界線はどこ?小児科医に聞く「期待」との向き合い方と、子どもの前で気をつけたいこと

“教育虐待”と“親心”の境界線はどこ?小児科医に聞く「期待」との向き合い方と、子どもの前で気をつけたいこと

最近よく耳にする「教育虐待」とは、親が教育を理由に子どもに無理難題を押しつける心理的虐待のこと。知らず知らずのうちに、自分も子どもに対して行き過ぎた教育をしているのでは?と悩む方も多いのではないでしょうか。そこで、『最高の子育て』(マガジンハウス)などの著書もある、日本小児科学会元会長の高橋孝雄先生に、教育虐待について率直なご意見をお聞きしました。

お話を伺ったのは

高橋孝雄先生の画像

医学博士

高橋孝雄先生

新百合ヶ丘総合病院・発達神経学センター長・名誉院長/慶應義塾大学名誉教授
1957年8月生まれ。1982年慶應義塾大学医学部卒業。1988年から米国マサチューセッツ総合病院小児神経科に勤務、ハーバード大学医学部の神経学講師も務める。1994年に帰国し、慶應義塾大学小児科で医師、教授として活躍。趣味は50代になってから始めたランニング。マラソンのベスト記録は2016年の東京マラソンで3時間7分。別名“日本一足の速い小児科教授”。

教育虐待という不思議な造語:「虐待」が疑われた時点で、もはや「教育」ではない

──教育虐待とはどういうことなのでしょうか?

白と黒、善と悪をあえて連結したインパクトのある造語ですね。教育とはその成り立ちから「正しいもの」、子どもたちが生きていく上で必要なこと、100%「善」です。虐待は真逆で、いかなる言い訳も許されない、厳しい非難を受けるべきこと、100%「悪」です。

行き過ぎた教育ではないか、と感じる場面は昔からあったはすです。しつけについても同じです。近年「〜〜ハラスメント」と呼ばれる行為が数多く指摘されるようになりました。以前は気にかけなかったこと、当たり前と思われていたことも、「もしかして、これって…」と意識されるようになりました。それ自体はよいことだと思います。

同様に、虐待について正しく認識されることはとても重要です。ただ、虐待という言葉があいまいに使われ、教育虐待という言葉が独り歩きし、子どもの成長に不可欠である教育という行為について、過度に慎重になる必要もないと感じます。

──教育としつけの違いは?

教育もしつけも、その目的は、自ら幸せな未来を築いていく力を身につけさせることです。幸せな未来を切開くために、最低限の礼儀やコミュニケーション能力は必要です。文書は読めたほうがいいし、簡単な四則演算くらいはできたほうが多分、便利です。

義務教育では、目標が一年ごとに設定されています。しつけも同様です。子どもの発達段階、たとえば言葉の理解、発語、会話の獲得などに合わせて、段階的に進めていきます。

できるようになった時点でやらせてみる

子どもの、特に乳児期・幼児期早期の発達は練習や訓練を要さず、自然に身につくものです。それぞれのお子さんの発達段階に応じて、安全に楽しくチャレンジする機会を与えるだけで十分です。

生まれて初めて何かができるようになる幸せを親子で感じてください。そんな見守りを日常の中で積み上げていくことが育児であり、しつけであり、教育です。例えば、歩けるようになったら、広場で遊ぶことが日常になります。転んで泣くこともあるでしょう。でも、お母さんやお父さんに抱き上げられた時の感情、背中トントンの感触は何よりの経験になります。

そんな日常の延長にあるのがしつけや教育です。小学生の子どもたちのための教育の基本は国によって管理されています。乳幼児期の発達と同じように、ちょうどいいペースで、足並みをそろえた見守りが用意されています。お子さん自身が、やりたいこと、得意なことをたまたま見つけたら、やってみるチャンスを与えればいい。当たり前の日常です。先を急ぐ必要はありません。

実はそんな日常を与えられない子どもが少なくありません。例えば、重い病気と闘っている子どもたちがいます。飢餓や貧困、戦争や紛争によって、当たり前の発達が思うように進まないこともあります。

後悔バンザイ!深い愛情の証です

小中学校の教育に関連して、最近、増えているのが、学校に行かない、部屋に閉じこもっている、勉強を一切しない、といったご相談です。しつけや教育方針が間違っていたのか、行き過ぎた教育の結果か、教育虐待だったのか、医師として教えてほしい、という方もおられます。

いつも感じるのですが、病院に来て、初対面の医師にそんな悩みを打ち明ける時点で、後悔しているということです。そんな場合には、「後悔ほど深い愛情はありませんよ」とお伝えします。「ああしておけばよかった」「あんなこと言うんじゃなかった」は深い愛情の証です。愛情がなければ、後悔はしません。

医療現場でまれに出会う「虐待の真の加害者」の特徴は後悔していないことです。「しつけのためにやった」と平気で言い、本気で思い込んでいるようです。

──行き過ぎた教育とはどのような状況を指しますか?

子どものためだから、あとで後悔させたくないから、自分も後悔したくないから、と歯止めが利かなくなった状況は危険です。学校や塾に行き渋ったり、食事を摂らなくなったりしたら、それは教育から虐待への入り口かもしれません。でも、もし後悔しているのなら、まだ大丈夫。解決方法はご自身で見つけられるはずです。

行き過ぎた教育の始まりは子どもへの無関心

学業でもスポーツでも、結果にばかり強い関心が向いた状況は危険です。成績ばかりが気になるのは、子ども自身への関心が薄れ、子どもの成果物、周囲の評価に関心が集中し始めている兆候かもしれません。子どものためだからと言いつつ、知らず知らずのうちに、子どもが成し遂げる「実績」のために親子で頑張っている状態かもしれません。

夫婦の価値観は、違うほうがいい

──子どもの教育で夫婦の意見が違うと悩む親御さんも多いですが、対処法はありますか?

価値観の違いを解消する必要はありません。教育の話題に限らず、夫婦の価値観が一致しないことは多いものです。両親の価値観が異なることで生まれる「隙間」が子どもを救うのです。母親と父親の意見に違いがあれば、子どもは両親の異なる意見を踏まえて、自分の考えを客観的に見ることができるようになります。

大人でもいろいろな意見があるのだ、ということを学ばせることも大事な教育です。そんな環境で育てば、友達や先生と考えが異なっても、相手の立場を尊重しつつ、自信を持って自分の意見を述べることができるようになるのでは。

子どもの前で気を付けたいこと

教育をネタにした夫婦げんか

虐待の中で最も気づかれにくく、避けるべきは子どもの面前での夫婦げんかです。先ほどお話しましたように、両親の価値観の違いは、子どもにとって好ましい隙間を作ります。しかし、それが夫婦げんかに発展するのは避けたいですね。特に、教育方針をめぐる言い争いは、せめて子どもの前ではやめたほうがいいでしょう。

子どもをねじ伏せるパワーワード「後悔するよ」

子どもが自ら考え、意見を持ち、それを発言し、実行に移そうとしている矢先に「あとで後悔するよ」はタブーです。子どもがせっかく意思決定力を身につけるチャンスを手に入れたのに、それを奪うことになります。虐待とは言いませんが、「やってはいけない教育」です。もし「後悔」という言葉を使いたいなら「後悔してもいいから、やってごらん」です。

親の意見を押し付ける「幸せの先送り」

最後にお願いしたいのは、「子どもの幸せを先送りさせないで」ということです。将来幸せになるために今はがまん。今、頑張っておけば、あとで楽だから。そんな風に子どもを説得していませんか?それは大人が自分自身を励ます時に使うべき台詞です。

今は何より教育が優先だ。子どもが将来、幸せになるために。そのような思い込みは、せっかくの教育を虐待に導く危険な発想かもしれません。

平日は塾、土日はスポーツなどの習い事で忙しい子も多いようですが、「やってて楽しい」にとどめておくことも大切なのでは。子どもは親が勧めたことを最後までやり遂げたいと思うものです。でも、親の期待に応えようという「子ども心」が行き過ぎると、子ども自身も「幸せの先送りグセ」が身についてしまい、現在はもちろん、将来も、幸せになることは難しくなるのではないでしょうか。

取材を終えて

教育虐待という言葉は、とてもインパクトがあり強いワード。自分はどうだろう、子どもを追い詰めているかもしれない、と考えた時点で虐待ではないということ、子どもとしっかり向き合って生活すればいいのだと納得。子育てと同じく、教育の成長過程を親子で楽しみましょう。

企画・編集/&あんふぁん編集部、取材・文/森岡陽子

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