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「切ったらお金出てくる?」子どもらしい発言に深く考えさせられた話
「切ったらお金出てくる?」
「中にお金を入れたのだから、切ればでてくるだろう」というのは、ある種ごく自然な発想です。でもこれ、よく考えてみると結構難しい要素をはらんでいる気がしました。
思い返してみると最近、現金を使うことがめっきり減りました。代わりに使うのは電子マネー。スーパーでの買い物も、スマホひとつでサクッと会計を済ますことができてとても便利です。ただ一方で、もしかしたら子どもにとっては、お金に対する感覚を育むことが難しくなってしまっているのかもしれません。
私は学校の先生をしているのですが、子ども達に何かを教えるときはまず「目に見えるもの」から扱い、徐々に「目に見えないもの」へと話を進めるように心がけています。具体的なものから話を始め、その後に抽象的なものへと深めていく方が理解しやすいとされているからです。
お金であれば、「目に見えるもの」としての通貨に直接触れて、実際にお金を手元に用意したり支払ったりする体験がまず先にあった方が、電子マネーを扱うにしてもお金に対する感覚をより深く持てる気がします。
もちろん簡単な計算さえできれば、何でどれくらい数字が増減しているのかを確認すること自体はできると思うのですが、実物を媒介としないやり取りに対して果たしてどの程度の実感を持つことができるのか、不安になっていきます。
「何をそんなアナログな…」と思う気持ちもある一方、人間の感覚というのは案外信用できないもので、アナログなやり取りというのもばかにできない部分がある気がします。
例えば、私は日々さまざまな税金を払っています。給与表や銀行口座を見れば、その項目も金額も一目瞭然なわけですが、じゃあ何をどれくらい払っているかと言われたら正直よくわかっていない、感覚は鈍いように思います。
これがもし、都度現金を用意して窓口で支払い、財布のお金が減っていく様子を毎回確認していたら、恐らく私は今より遙かに税金に対して高い意識と感覚を持っていたように思います。税金が自動的にさっぴかれていくサラリーマンよりも、これらを自分で計算して支払っている自営業者の方が、お金について鋭い感覚が醸成されるという研究を聞いたことがあります。
少し話が飛躍したかもしれませんが、「目に見えるもの」を介したやり取りが今後さらに減っていくであろう昨今、お金に限らず子ども達の感覚は変わっていく気がします。
より効率的な社会に向けて最適化されていくこと自体を非難するつもりはないのですが、子どもは身を置いている環境の中で育っていきます。子どもながらの素朴な視点を微笑ましく感じる一方、その視点や言葉の裏側にある環境を忘れないでいたいな~と思いました。