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ママは感情の生き物でOK!?「子どもと自分の大切さを同等に」して、自分のご機嫌を取る“しない育児”とは
看護師・助産師の資格を持ち、5万組の子育て支援をしてきたHISAKOさん。自身はなんと12人の子育てを経験し、子育てバイブルとして人気の公式ブログは、一日5万人以上に愛読されています。そんなHISAKOさんも最初は「しなければならない」育児にとらわれていた一人。親が「幸せで満ち足りた状態」をキープするウェルビーイングな子育て「しない育児」を実践するために、目からウロコが落ちるようなアドバイスをうかがいました。
令和の子育ては「しなければならない」と思い込み自信をなくす?
ー2023年8月に出版された「しない育児」という本が2万部のヒットです。この本を書かれた理由を教えてください。
私は平成から令和にかけての子育てをずっとみてきました。平成時代ももちろん育児において「しなければならない」という意識はあったものの、令和はそこに輪をかけてグレードアップしているなという感覚がすごくあるんです。平成時代は雑誌などから育児情報を得るのがメインでしたが、令和はSNSでいろいろな専門家のブログや記事など、膨大な情報を簡単に見ることができるようになりました。
こうした専門家のエビデンスに基づいた子育ての方法は、正しく理解できれば良いですが、中途半端に一人歩きしてしまって、「こうしなければいけないのにうまく実践できない」と自信をなくしている人がたくさんいると思うんです。
例えば公共の場で「うるさくしないで」と言ったらダメで、「小さな声で話そうね」と言いましょう、といった関わり方。否定ではなく「こうしようね」、「走らないで」ではなく「歩こうね」、みたいな声かけをしなくてはいけないというようなアドバイスが多いですが、いや、それできます?(笑)
イライラしているのにできるわけがない。そうすると、頭ではわかっているけどできない自分に落ち込んだり、子どもを傷つける言い方をしてしまったと自分を追い込んだり、周りの人たちはみんなできているのにと思い込んだりして、自己効力感が低下したり自信をなくしていく。いや、できている人なんて、そうそう見たことないですから!
ウチは12人子どもがいますが、親の私が発する言葉の受け止め方はそれぞれ違いますし、そもそも親の声かけや対応だけで子どもの人格形成が決まってしまうなんてことはないんですよね。
でもそのエビデンスに基づいた学術的な説明にわが子を全部当てはめてしまって、苦しんでいる親御さんが今、本当に増えているんです。私のところにも、びっくりするぐらいママのメンタル系の相談が増えました。だから何々式育児とかいろいろあるけど、そんな理想論ではいかないから、ちょっと立ち返って、もっと人間らしくやってみませんかと、この本ではそういうことを伝えたかったんです。
寝る前にパラパラっと読んで「しない」を刷り込む
ー100項目の「しなくていいこと」が紹介されていますが、どのように読むのがおすすめですか?
実はこの100項目、それぞれで一冊本が書けるくらい書きたいことがたくさんあるんです(笑)。一つひとつの項目には“触り”だけしか書いていませんが、逆に短くて読みやすいのがこの本の魅力。だから寝る前に5ページだけとか、毎日パラパラと繰り返し読んでもらうのが良いと思います。
本を読んで改めて「そうだよな」と思うよりも、「もう書いてある内容は頭に入っているし、次の行はこう書いてあるのよ」ぐらいまで読み込んで、毎日刷り込んでいけば、朝起きたら当たり前のように顔を洗うくらい無意識に、習慣としてできるようになってほしいなと思います。
軸はたった一本「子どもと自分の大切さを同等にする」
ーHISAKOさんが「しない育児」を続けて、ウェルビーイングな生き方をキープするために大切にしている軸は何ですか?
軸は一本なんですよ。「子どもの大切さと自分の大切さを同等にする」ということです。「しなければならない」になってくることって、全部「子どもが優先」から来るんですよね。子どもはもちろん大切。でもそれと同等か、もしかしたらそれ以上に、「まず自分が大切」っていう、自己満足で生きてほしいんです。
自分のご機嫌取りができないのに、子どものことを幸せにはできないです。だから、「子どものことをしてあげたいな」、「もうちょっとできるかな」と思っても、「いや、ここまでにしておこう」、「まだできるけど、その前にエステ行こうかな」とか、一人ランチに行っても、「子どものことをスマホで調べるのはやめて、自分のことに時間を使おう」とか。
「もっと自分のことを大切にしよう、自分ありきの子どもだよ」と伝えたいですね。自分の人生があって、そこに子どもが加わったわけだから、あなたの人生そのものを後から来た新参者に合わせる必要はない、くらいに思っておくのがちょうど良いんです(笑)。
自分を大事にすると、思春期の子どもと当然のようにハグできる!?
ーとはいえ、子どもより自分を優先させると罪悪感を感じる方もたくさんいそうです。
それには良い例があって、ニューヨークで講演会をやらせてもらった時に、現地に住む13歳から15歳くらいのお子さんを育てているママとお話をする機会があったんですが、皆さん口をそろえて「思春期の子育ては別に大変じゃない」と。何十人に聞いてもみんな同じ答えが返ってくるんですよね。実際に思春期のお子さんが「ただいま!」と帰ってきて、ママとおかえりのハグをしているところに遭遇したり。
思春期の子どもがママとハグしてほっぺた合わせている。そんな日本ではあり得ない光景が広がっていて、何が違うのかと考えた結果、これかなと思ったのが、アメリカで子育てをされている方々は、子どもたちが小さい頃から普通に子どもを預けてダディとデートにいくんです。週2回、夕方の5時から11時くらいまでベビーシッターに預けて、ダディとディナーに行って、ミュージカルを見るわけです。
それって罪悪感とかってないの?って聞くと「え、どういう意味ですか?」って逆に聞かれます。日本だったら一時保育に子どもを預けて美容院に行くだけでも後ろめたさがあるという人が多いですが、向こうの日本人ママたちってそこに罪悪感はゼロなんですよね。
「だってHISAKOさん、夫婦が仲良く、ダディと私がコミュニケーションを取って、ちゃんと気持ちの共有ができていなければ、子どものことなんか愛せないでしょ」と、乳幼児を育てるママさんたちがもう堂々と自信を持って私に伝えてくれるんです。そうそう、それ私がいつもYouTubeで言ってるやつ(笑)。
ー親が自分を大事にしていると、「大変な思春期」を回避できる?
「ママ、パパとデートしてくるから」と言っても、子どもにしてみれば周りもみんなそうだし、親に全く罪悪感がないので、「親には親の人生があるし、自分のことも大切にしてくれている」ということを理解している。
子どものためにしてあげたいと思っているからやっていることだけど、親が自身のことを後回しにして、顔をしかめ、ため息をつきながらやっていたら、どこかで「こんなにやってるのに」という気持ちが生まれませんか?そして「どうしてあなたにはそれが響かないの」となる。
子どもにしてみれば当然「そんなの頼んでないし」って話なんです。「結局お母さんの気分が良くなるように、僕のことをコントロールしようとしているだけで、“あなたのため”なんて口ばっかりじゃん」となってしまう。親の本音を子どもは全部受け取っていて、結局思春期になった時に、そこに反抗するんです。
もちろん日本には日本の良さ、向こうには向こうの良さがありますから、日本人がダメということではないですが、この部分に関しては、見習うべきなのかなと思います。
ー「自分を優先させる」と聞くと逆にネグレクトなどが心配になってしまうのですが…。
それは「社会問題」なんです。子どもたちが騒いでいても「いいよいいよ」っていう器の大きい気持ちみたいなものが、日本は少なすぎる。結局「こうあるべき」という基準に当てはめて、そこから少しでもずれたら「何あの子」「何、あのママの育て方」みたいになってしまう。
自信を持って子育てしていたのに、乳幼児健診に行ったら打ちのめされて帰ってきた、もう二度と行きたくないなんて声もたくさん聞きます。もちろんすばらしい保健師さんもたくさんいらっしゃるんですけど、私は助産師としてたくさんのお母さんたちに接し、悩む方の多くは社会に置いていかれている、孤立してしまっていると感じます。
やっぱり社会が変わっていかないといけないんです。私を含めて、支援をする側がもっとお母さんに寄り添える存在になっていかないといけないなって、ものすごく感じます。
ーなるほど。それならまずは深く考えずに親が自分の機嫌をとった方が良いですね?
そうなんです。だからずっとスマホを見ててもいいんですよ。子どもが話しかける度にスマホを置いて、作り笑いで「なあに?」なんてしなくていいんです。子どもはママがなんかしんどそうな顔して振り向いたって気付いていますからね。
「今忙しいから話しかけんといて」くらいでいい。「えー聞いてよーもう!」「もうってこっちが言いたいわ!」みたいな、多分それくらいが自然なんですよね。もっと感情出していこうよって。もしやりすぎたなと思ったら後で謝ったらいいんです。
人格否定には注意!「行動に対して嫌」とは別物
ー本書の中で、親も感情的になって良いと言いつつも、パートナーのことは「子どもの前で悪口を言わない」と、コントロールを求めている点が印象的です。これがなかなか難しいとも感じますが…。
これはまさしく私が過去にやってしまったんです。元旦那さんとすごく価値観が違っていて、子どもの前で日々腹が立ったことを口にしてしまっていたんですけど、子どもたちはそれをパパの人格否定だと捉えてしまったんですよね。
「何かに対して嫌だと思った」ということは子どもの前で言っていいと思います。ただ「パパ自体は大好きです」ってことも伝えないといけない。
例えば、「なんでパパは袖ぐちゃぐちゃのまま洗濯干すの!?…洗濯してくれるところは大好きだけど」とか。私はこれをゲーム感覚でやりましょうって提案しています(笑)。「あ、今文句言っちゃった」と思った時に、ここでなんかフォロー…なんか一つ褒めるところ…なんや、なんやひねり出せ!って。
腹が立つことに対して、幸せに感じていることを言葉にすることで、怒りの沸点が下がるメリットもありますし、これは10年後15年後の子育てへの投資にもなるんです。
「なんでそうやって私の言うこと聞かないの!…だけど、あなたが生まれてきてくれたことはありがとう」みたいな。「そういうところは腹立つけど、あなたの寝顔を見ていたら、あなたを産んでよかったなって毎日思うんだよね」とか。行動は腹立つ。でも存在は大好き。
そういう行動を親が見せ続けることで、子どもは友達に対しても「こんなことされた、その行動に対しては傷ついたけど、その友達の存在は好きだし、もしかしたらその友達にもいろいろなことがあるのかな」って寄り添える人間になる。嫌なことがあった時に「死ね、消えろ、うざい」にならないわけです。
どんどん自分の素を見せて子育ての協力者を増やして
ーまずは親が上手に感情を出せるようになれると良さそうですね。
そうですね。例えば子どもの発達などで悩む親御さんであっても、「私がなんとかしなきゃ!」と思うのではなくて、自分の限界を超えない一線を決めよう、と提案します。精一杯頑張って、いっぱいいっぱいな自分の状況を理解しているのに、その限界以上のことをやろうとしてもできないですよね。「もう知らんわ」にしてしまっていいんです。
親御さんだけで一生懸命考えたって結局偏りますから、保育園・幼稚園の先生、役所の人、保健センターの人、教育相談のスクールカウンセラーの先生、いろんなあなたに繋がる人たちを巻き込んで知恵を借りたら、自分では思い浮かばない方法があちらこちらからアドバイスしてもらえるわけですよ。
話せる相手が増えるだけで、お母さん頑張ってるねって言ってもらえることも増えます。それだけですごく楽になったりするんです。卒園して小学生になったら、小学校の先生を全員味方に付けるくらいの気持ちで相談に行けばいいんです。
小学校の先生といっても同世代で、家に帰れば同じようにお父さん、お母さんの可能性は高いですし、みんな子育てに悩んでいたりします。先生のところはどうですか?私はこうなんですけどって先生たちに親御さんの素を見せて行けば、先生たちもどんどん心を開いてくれて、いい仲間になって、子育ての協力者が増えますよ。
本当にあなたのことを思ってくれる人は、実は世の中にいっぱいいます。もちろん合う合わないはあるけれど、合わなければこの人じゃなかったって次を探せばいいんです。絶対合う人に出会うから。
そうやって扉を開いていくっていうのも、賢いママの姿なのかなと思うんですよね。自分で全部やろうとするんじゃなくて。そんな特殊能力ありませんので、私たち(笑)。
取材・文 山田朋子
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