現役教師が考える「不登校」の原因、親ができること
大阪の公立小学校で教員(21年目)をしている松下隼司です。今回は、不登校や登校しぶりについて考えたいと思います。
不登校の原因は一人ひとり違う
まず、不登校=悪い・不幸
と、大人や社会が思っていることが、一番の問題だと思います。
大人や社会全体が、そういうふうに不登校を捉えているから、近くにいる子どもも「学校に行けていない自分は悪い」と捉えてしまうのだと思います。私も教師として、担任している子どもが不登校になったとき、「不登校になってしまった」「担任である私に何か原因があるのでは?」と、正直、思います。
この「不登校になってしまった」という思いの裏には、きっと「学校は毎日、行かなければいけないもの」・「学校は、普通、毎日、通うところ」という捉え方があるのだと思います。だから、「不登校になった」ではなく、「不登校になってしまった」と思うのです。
不登校になる子どもほど、周りの環境の変化や、周りの大人の思いに敏感だというのが私の実感です。だから、大人である私の思いが「不登校になった」子どもを必要以上に苦しめてしまっているのではないかと思います。
不登校の原因は、一人ひとり違います。「いじめ」「友達関係」「教師との関係」「クラスの雰囲気に馴染めないから」「そもそも学校が合わないから」「体調面やメンタル面」「家庭の事情」「夜更かしで睡眠不足」など、本当にさまざまです。
睡眠不足は大きな問題
ゲームやスマホ、ユーチューブ、SNSを夜遅くまでやってしまって睡眠不足で昼夜逆転になってしまう子どもは年々、増えてきているように感じます。これは、保護者としてしっかり管理してもらいたい、睡眠時間を十分に確保してほしいというのが教師としての本音です。
日本は、大人も子どもも先進国の中で、極めて睡眠時間が短いです。大人でしたら、睡眠時間が多少短くても1日踏ん張れるかと思います。仕事ですから。
しかし、未成熟な子どもにとっては、睡眠不足は大きな問題です。授業に集中できなかったり、友達関係とのトラブルもやはり多くなってしまいます。というのは、普段は我慢できるようなことでも、睡眠不足が原因で我慢が効かずに思わずカッとなって暴言や暴力を振るってしまうことが多くなります。
起きられない息子の起こし方、わが家の場合
私には、小学年生の息子がいます。やんちゃ盛りで、ゲームやテレビが大好きです。
それでも、毎晩20時半に就寝させています。(私も一緒に寝ています。親が遅くまで起きていると、子どももなかなか寝付かないものです。)布団に入った息子は、5分程度で眠ります。小5で体がずいぶん大きくなりましたが、寝顔はまだまだかわいいものです。
ただ、毎晩20時半に寝かせても、息子は自分で起きられません…。朝ごはんを食べる時刻(朝6時20分)になっても、起きません。10時間ぐらい、寝ているのですが…。
「朝やで~!」
「起きや~!」
「間に合わへんで~!」
と、何度も大声で言っても起きません。
逆に、
「分かってるって~!」
「そんなすぐに起きられへんわ!」
と逆ギレされることもよくあります。
そこで、寝ている息子をギュッと抱きしめて起こそうとしたこともありました。ものすごく嫌がって怒られました…。
また、耳元で
「もう朝8時やで。」
と嘘の時刻を言って起こしたこともありましたが、2回目、3回目となると私の嘘を見破ってしまうようになりました。
寝ている息子を起こすのに、毎日10~20分かかっていました。
そんな試行錯誤の末、たどり着いた、編み出した起こし方が
スマホを利用すること
です。
ある朝、寝ている息子の頬に、私のスマホ画面をつけてみました。
すると、息子は、
「冷たっ!」
と言って、スマホの画面の冷たさで起きました。予想以上にすぐに起きたので、私も上機嫌で
「(スマホの)ゲームする?」
と言うと、布団から起き上がって、椅子でゲームを始めました。
息子が5分ほどゲームをしたところで、朝食タイムにしました。普段よりも、てきぱきと行動する息子に驚きました。
(1)私が声をかけてから息子が目を開けるまでの時間
(2)息子が布団から出るまでの時間
(3)朝食の一口目を食べるまでの時間
の3つ全てが、これまでよりも、スマホ(ゲーム)で起こした方がスムーズでした。
毎朝、長い時間怒鳴っていた私にとっても、怒鳴られていた息子にとっても平和な朝を迎えることができました。
寝る前のスマホのブルーライトは、良くありません。脳を十分に休めることができず、脳が覚醒状態になるからです。しかし、スマホのゲームをネタに起こすのは、我が家の場合、効果的でした。
時々、私が「起きや!」と言って起こすと、やっぱり息子はなかなか起きられません。私もイライラに逆戻りです。息子も「スマホで起こして~や~」と言って、不機嫌そうです…。
前述したことでお分かりかと思いますが、小5の息子にはまだスマホを持たせていません。
「小学生のうちは、スマホは持たせられない。必要ない」
「息子にスマホを持たせたら、過ごし方が悪くなる、スマホ依存になる」
というのが私と妻の一致する考えです。
不登校の子への認識の変化
スマホ依存・ゲーム依存・SNS依存でなく、いじめなど学校が原因であったり、お子さんの体調が原因で登校できなくなるケースもあるかと思います。私個人の考えなのですが、不登校の子どもが少しでも学校外で教育を受けられるように、デイサービスやフリースクールなどの機関が、私が教師になった21年前よりも増えてきたと感じます。
そして、不登校の子どもへの認識も少しずつですが変化があります。
私が教師になった頃は、「不登校は許さない、迎えに行ってでも学校に連れて行く」という考えが私にはありました。実際、初任校の頃は、毎朝7時すぎに迎えに行って、子どもだけでなく、親御さんも起こして、一緒に朝ごはんを食べて、学校に行くという日々を過ごしていました。
しかし、不登校の原因は、子ども一人ひとり、本当に違います。
教師が良かれと思って、子どものためにと思って、登校刺激をすることが逆に、マイナスに働いてしまうこともあります。子どもを傷つけてしまうこともあります。無理に学校に行かなくてもいいんだと、おおらかに構えておくのが子どもにとってプラスに働くこともあります。
学校の「当たり前」「決まり」を見直す
教師としては、これまでの「学校の当たり前」「授業スタイル(授業の仕方)」「運動会や学習発表会、卒業式などの行事のありかた」を変えていく必要があると思います。
例えば、「学校の決まり」です。今の時代、今の子どもに合っているか、理不尽で納得いかない学校の決まりはないか、子ども目線、保護者目線、社会目線で一つひとつ見直す必要があると思います。
冬場の寒い中で体育の授業を屋外でするときでも、上着を着ることを禁止している学校があります。薄い体操服だけを着て、寒空の下、震えながら授業を受けるさせる学校があると聞いたことがあります。12月~2月、10℃以下の屋外で、半袖・半ズボンで公園で遊んでいる子どもを見かけたらどう思いますか? きっと、「大丈夫?」と思われるでしょう。私も自分の子どもと冬場、公園に遊びに連れに行くときは、防寒対策をばっちりして行きます。風邪をひいたら、かわいそうだからです。
しかし、冬の寒い体育の時間でも上着を着ることを禁止している学校の言い分は、
「不衛生だから」です。「体育の授業で汚れた上着を着たまま給食を食べたり、給食室に食缶を取りに行くのが、衛生上、良くないから」なのです。今までは、「学校の決まりだったら仕方ない…」と思って、我慢されていたかもしれません。でも、よくよく考えたら「じゃあ、休み時間に上着を着て運動場で元気よく遊んでいる子どももいるじゃないか!」と気付いてさらに、「体育の時間に着せる上着を別に用意したら解決する」となるはずです。こういったことは本来、学校が子どものために考えるべきことですが、「今まで、〇〇だった」「この学校は、〇〇することになっています」と、思考停止状態でした。(実は、これ、少し前までの私のことです…。)
「今ある学校」という枠に当てはめようとするから、枠に当てはまらない子どもたちが苦しみ、そして、枠に当てはまらない子どもたちが叱責されるのが学校教育の実情だと思います。
もちろん、社会のルールを守ること、法律を守ることは大切です。まわりの人に迷惑をかけないようにマナーを守ることも大切です。
しかし、「学校の当たり前」に違和感を感じることも大切だと、思います。親御さんも「子どもにとって、これは理不尽だな」と感じられることがありましたら、ご連絡してほしいと思います。「学校のこれまでの当たり前」を良い意味で変えていく大きな原動力になるのが、親御さんのご意見です。
「不登校」というマイナス印象を変えたい
私が小学生の頃(1980年代)は、不登校ではなく「登校拒否」という表現がありました。それが、「不登校」という表現が一般的になっていきました。
「不登校」という表記自体が、前向きなイメージを受けません。「不」という一文字で、後ろ向きな、ネガティブな印象を受けます。不登校のお子さんの親御さんはなおさらだと思います。
「不」がという漢字がつく、熟語を調べてみました。
↓
不調、不良、不備、不快、不注意、不審者、不勉強、不親切、不評、不合格、不祥事、不幸・・
やはり、どれもネガティブな印象があります。
義務教育は、学校にお子さんを在籍させる義務であって、学校に登校させる義務ではありません。それなのに、学校にお子さんが登校できないととてもマイナスに感じてしまいます。
「言葉遊び」と思われるかもしれませんが、「根本的な解決にならない」と思わるかもしれませんが、「不登校」というマイナス印象の表記が変わったらいいな~と思います。子ども目線、親目線、教師目線、社会目線で。
例えば、「NO SMOKING(禁煙)」「NO WAR(戦争反対)」のように、「ノー スクーリング」と強い意志を感じるような表現になれば、後ろめたさがずいぶん改善されるなと思います。