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もう聞けない「ブッコロリー」 子どもの珍発言は今だけの宝物

子どもの珍発言を受けたとき、みなさんはどんな反応をしていますか? 最近、エッセイ本や絵本を通して、長女の幼いころ(まだまだ幼いけれど、もっと幼いころ)に思いをはせることがありました。そのときに、少し後悔したエピソードです。
動画では撮るけれど…
5歳の長女がもっと小さいころ、言い間違いや舌足らずな感じを、誰かに話したり、動画におさめたりしてきました。今でもたまに映像を振り返って、喋りの幼さにほほえましくなります。ただ、文字に残しておけばよかったという後悔を今になって抱いています。
文字にすると面白い
タイトルにある「ブッコロリー」は、「ブロッコリー」がうまく言えなかったときに長女がよく口にしていた珍発言です。当時は「ブッコロ…!?」とまさかの不穏な響きに笑っていましたが、最後のブッコロリーはいつだったのか…。きっともう二度と聞けない間違いでした。

ちなみに今の長女について振り返ると、「ひよこ」と言うと三つのものを指すことが面白いと思っています。「ひよこかける」というときにはひよこ色のブランケットを指し、「ひよこ着る」というときにはひよこ色のパーカー、「ひよこの中に入っている」といえばひよこのポーチを指します。そんな記録を、最近になってやっと日記帳(超気まぐれ)や手帳の隅にでも書き留めるようになりました。

きっかけは他の人の「育児記録」
わたしは育児のエッセイ本を読むことが好きなのですが、著者の観察眼とこまめな記録にいつも感心します。本を出すまではいかなくても、デジタル機器に頼らず、自分の手で残していきたい思い出たち。育児には「今だけ」が詰まっていることをつくづく感じるからこそ、きちんと立ち止まって「幼さ」を噛みしめることを意識するようになりました。

さいごに
いつかは直ってしまう言い間違い、いつかは現れなくなる頭足人間、いつか書けなくなる逆さ文字。子どもの「まちがい」は、正すのがもったいないほどかわいく、愛おしく思えるときがあります。ですが慣れるとその価値も薄れ、当たり前のものになっていました。ミニマル化が好まれる今の時代ではありますが、何気ない日常を自分の手で残す「今しかできないこと」に気付かされたエピソードでした。
口が達者な長女だからこそ、記録片手に懐かしさの涙を流す未来が見えます。
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