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「私の親友はゴミ山に住んでいます」諦めた夢を繋いだゴミ山のヒーロー

「私の親友はゴミ山に住んでいます」諦めた夢を繋いだゴミ山のヒーロー

「もし、あのままインドに残っていたら——」
みなさんには、どこかにしまい込んだ諦めかけた夢がありますか?

もしもあの時に・・・

私は、あの時に抱いた夢への“もしも”を、大人になってから何度も考えてきました。

そして今、その問いに新しい意味を与えてくれたのが、
「誰でもヒーロー(DAREDEMO HERO)」代表・内山順子さんとの出会いでした。
今日は、私が一度は諦めた夢を拾い上げてくれた順子さんと、
ゴミ山で暮らす娘の“自慢の親友”についてお話ししたいと思います。

左:誰でもヒーロー(DAREDEMO HERO)代表・内山順子さん

順子さんと私が出会ったのは、2024年1月。
セブ島留学QQEnglishが月一回実施する留学生向けスタディツアーにて
セブ島の“ゴミ山”と呼ばれる地域を訪問したことがきっかけでした。
プログラムの一環として、私は子どもたちと一緒に、
順子さんが運営する「誰でもヒーロー(DAREDEMO HERO)」の活動を体験させていただき、
現地でのボランティア活動に参加しました。

「誰でもヒーロー(DAREDEMO HERO)」は、
フィリピン・セブ島でスタートした教育支援団体です。

貧困地区で暮らす子どもたちへ教育支援を行い、
“夢を夢で終わらせない”ために、長期的なサポートを続けています。
その活動には、かつて私が憧れ、そして途中で諦めた“夢”が詰まっていました。

私には忘れられない居場所がある。

大学時代の私は、国際協力の世界に強く憧れていました。
実際にインドへ渡り、大学4年間、コルカタと日本を往復する生活。
マザー・テレサの施設でボランティア活動に参加し、
身寄りのない子どもたちと過ごす時間は、不思議なくらい自然体でいられる時間でした。

もちろん、私ひとりの力で世界が変わるわけではないかもしれません。
それでも、「ここにいたい」と思える感覚が、確かにあったのです。
ですが帰国後の私は、周囲に流されるように生き、日本で就職し、結婚し、子どもを
産み、いわゆる“普通の幸せ”の道を歩みました。

周囲から見れば順風満帆だったと思います。
けれど心のどこかでは、ずっと消えない気持ちがありました。
「あの時、もしインドに残っていたら」
「もし、国際協力の道を続けていたら」
諦めた夢。
途中で手放した夢。
その想いは、自分の中に静かに残り続けていたのです

インドでは毎日子どもたちに囲まれて過ごしていました。

順子さんは諦めなかった人。

順子さんもまた、日本で一度は公務員として働いていた経験があります。
大学時代に世界を旅し、インドでボランティア活動を経験した後、日本で公務員として
働いていた順子さん。
“海外を飛び回っていた順子さんが、一度日本で普通に就職する”
それは、まさに私自身も辿った道でした。

けれど順子さんは、東日本大震災での支援活動を経て
「やっぱり自分はこの道で生きたい」とフィリピン移住を決意します。

順子さんは、一度諦めたように見えた夢を、もう一度自分の手で掴みに行った人でした。

人生を変える出会い

2024年、QQEnglishが実施している月一回のスタディツアーのプログラムで、
私は子どもたちと一緒に、セブ島の“ゴミ山”と呼ばれる地域を訪れました。
正直、不安もありました。
日本で不自由なく育ってきた子どもたちが、この光景を見て何を感じるのか。
怖がるのではないか。ショックを受けるのではないか。
ですが、現地の子どもたちは非常に明るく、すぐに我が家の子供たちと打ち解けてく
れました。

みんなが一生懸命練習したダンスを披露してくれました。

みんな驚くほど人懐っこく、笑顔で駆け寄ってきてくれて、
抱きついてくれて、手を引いてくれて。

その無邪気さに、むしろ私たちの心のほうが救われていったのです。

そんな中、ひとりの女の子が長女に向かって、笑顔で手招きをしました。

「こっち来て! 一緒にやろう!」

その子は、思わず見惚れてしまうほど笑顔が眩しく
とても美しい顔立ちをした女の子でした。
もちろん、ゴミ山の中で暮らすという現実は、私たちが簡単に想像できるものではあり
ません。
けれど、その子の笑顔からは、“かわいそう”や“不幸”という言葉をひとつも感じなかったのです。
そこには生きる力と、周囲を明るくするエネルギーが溢れていました。
その出会いは、長女の心に深く残りました。

幼さが残る可愛い笑顔が最高に眩しかったです。

帰国後、長女は夏休みの自由研究でゴミ山について発表し、
作文でも彼女との出会いを書いていました。
「あの子の名前、聞けばよかった」
「また会いたい」
そう何度も口にしていました。

QQEnglishさん、そして順子さんに相談し、
日本から手紙を届けてもらったこともありました。
それでも、“また会いたい”という一向に気持ちは消えませんでした。

そして2026年5月。
順子さんのご厚意で、約1年半ぶりの再会が実現したのです。

美人姉妹!*掲載許可済み

再会したその子は、以前より背が伸び、さらに美しく成長していました。
そして今回は、自宅にも招いてくれ、家族を紹介してくれて

ママとパパを紹介してくれました。

初めて彼女の名前を知りました。

「マイカ」

名前を知った瞬間、
“遠い国の子ども”ではなく、
“大切な存在”として心に入ってきた気がしました。

この子に、自分は何ができるだろう。
支援という言葉だけでは表せない、“誰かを大切に想う気持ち”が、そこには確かにありました。

後日、長女の日記を読んだ時、冒頭にこんな言葉が書かれていました。
「私の親友は、ゴミの山で暮らしています」

続く文章には、
「かわいい妹弟がいて、友達がたくさんいて、いつもニコニコしていて幸せそう。
すごく美人で、自慢の親友」

と書かれていました。

大人になると、どうしても環境や貧しさを先に見てしまいます。
でも、子どもは違いました。
長女は、
“ゴミ山で暮らしている子”ではなく”大好きな親友マイカちゃん”として見ていたのです。

言葉が通じ合わなくても笑い合える2人。幸せ以外の何者でもありません。

そして同時に、私自身もこの出会いを通して、“本当に大切なこと”を子どもたちから教わりました。

順子さんは、2013年の台風ヨランダをきっかけにフィリピンへ渡りました。
東日本大震災後、日本で災害支援活動を行っていた順子さんは、
フィリピン・レイテ島の惨状をニュースで見て、
「自分にできることをしたい」と支援物資を抱えて現地へ向かったそうです。
そこで順子さんが衝撃を受けたのは、
過酷な状況の中でも“笑顔”でいるフィリピンの人々の姿でした。

「泣いていても起こったことは変わらない。自分が笑えば、周りも笑ってくれる」

言葉は人を動かす力がある!

その言葉に人生を変えられた順子さんは、公務員を辞め、フィリピン移住を決意。
「誰でもヒーロー」の活動へと人生を捧げていきました。

なんてかっこいいんだろう。

私にとって順子さんは、憧れそのものの存在です。

諦めた私と、行動し続けた順子さん。

「今は、セブでできた大切な仲間とお酒を飲むのも楽しみ」と
お茶目に笑いながら話す姿も可愛らしく
飾らないありのままの姿がとても素敵でした。

順子さんは、こんなことを話してくれました。
「大きなことをしなければ世の中は変わらない、と思って動けない人が多い。
でも、1000円でも出してみる。そんな小さな一歩が人生を変えることもある」

その言葉を聞いた時、私は少し肩の力が抜けた気がしました。
私はずっと、“国際協力を仕事にできなかった自分”に、どこか後ろめたさを感じていました。

でも、本当に大切なのは、“完璧な形”じゃなくても、誰かを想い続けることなのかもしれない。

ゴミ山で出会った子どもたちも驚くほど笑顔でした。
環境だけでは測れない“幸せ”が、確かにそこにありました。

「あぁ、私の夢、終わってなかったんだ」
諦めたと思っていた夢が、親になった今、まったく違う形で戻ってきた。
しかも今度は、“子どもたちと一緒に”

あの時手放したはずの夢は、形を変えて、もう一度私のもとへ戻ってきてくれていました。

順子さんとマイカちゃんこそ、私にとっての「ヒーロー」です。
何歳になっても夢は逃げない。諦める必要なんてない。
これからは、行動で恩返しをしていきたいと思っています

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めぐ

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大好きな地元横浜から留学生受け入れ記録やマニア目線の空港情報、ズボラな生き様を発信しています。
食べることより寝ることより旅が好きです!

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