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「パパなのにすごいね」にモヤモヤするのはなぜ?日本の育児観に潜む違和感

こんにちは、浅田伊佐夫です。
普段は6歳の娘と4歳の息子の育児に奮闘しながら、日々の気づきやパパ目線での育児ノウハウをブログでお届けしています。最近、Threadsをチェックしていた時に思わず気になってしまった投稿がありました。
それは「パパなのにすごいね」と言われて、ママなら普通なのに違和感を覚えたという投稿です。
この「パパなのにすごい」というフレーズ。育児中に一度は言われたことがある父親も多いのではないでしょうか。
これに関してかなり思うところがあり、記事にまとめてみました。よければお付き合いください。
「なのに」に隠された、当たり前のギャップ
なぜこの言葉に少しだけモヤッとしてしまうのか。その理由は単純で、「パパなのに」という表現の裏に「父親は育児をしない/できないのが当たり前」という前提が透けて見えるからです。
もし母親が公園で子どもと遊んでいて、「ママなのにすごいね」と言われるでしょうか。まず言われませんよね。母親が子どもの面倒をみるのは「日常」であり「前提」とみなされる一方で、父親が同じことをすると「特別」や「例外的な善行」として評価される。
私自身、これまでに合計16か月の育児休業を取得し、娘(6歳)と息子(4歳)の成長にどっぷり伴走してきました。おむつ替え、乳幼児健診、寝かしつけ、保育園の送迎、急な発熱の対応まで、日々の育児は「特別なイベント」ではなく、私の日常そのものです。
だからこそ、「パパなのに」と褒められるたび、どこか舞台の上で演技をしているような、自分の日常を「お客様扱い」されているような奇妙な感覚になっていたのです。
知育教室で先生から言われた言葉
以前、弟くんを知育教室に通わせようと、妻と3人で体験レッスンに行った時の話。
ハキハキした先生で受け答えも的確で、とても感じの良い先生だったのですが、「お父さんも一緒に来てくれていいですね〜」と言われて、そこまでは良かったのですが、「さっきも、お子さんの対応、手慣れていましたし」と言われたことがありました。
私が子どもを抱っこしたり、あやしたりしている行動を見て言っているのだと思うのですが、自分の子の対応が手慣れているって、どういうこと?と、意味がわかりませんでした。
友達の子どもとのやり取りをみて「子どもの扱いに慣れていますね」だったら分かるけど、自分の子の対応に手慣れているって…
父親=育児をしない人、という前提の話になっているのだと思うのですが、父親の育児がまだ珍しいと感じる環境もあるのかもしれないな、と感じました。褒め言葉として言ってもらっているのはわかるのですが、とてもモヤモヤしました。
褒め言葉の心地よさと、その先にある罠
もちろん、声をかけてくれた方の親切心や優しさは本物ですし、父親の育児参画を好意的に受け止めてくれる社会的雰囲気自体は、昔に比べればずっと生きやすいものになっています。
ただ、この「褒められる状態」に甘えてしまうことには少しリスクがあると感じています。
「パパなのにすごい」と持ち上げられると、つい「自分はよくやっている父親なんだ」と錯覚しがちです。しかし、家の中でパートナーと対等に育児・家事をシェアしている立場から見れば、外で少し子どもと遊んだくらいで「すごい」と称賛されるのは、少し複雑な気持ちになることもあります。
家庭内で本当に求められているのは、「すごいパパ」というスポットライトを浴びることではなく、息を吸うように当たり前に家庭を回す「当事者」としての存在感だからです。
最後に
父親が子どもと手をつないで歩くこと、公園で泥だらけになること、保育園の連絡帳を真剣に書くこと。これらが「珍しい光景」ではなく、街のいたるところで見られる「当たり前の日常」になれば、「パパなのにすごい」という言葉も自然と姿を消していくはずです。
「パパなのにすごいね」ではなく、「いつもお疲れ様です」や「お子さん元気ですね」と、普通の親同士として声をかけ合える社会。それこそが、父親にとっても母親にとっても、もっと肩の力を抜いて育児を楽しめる環境なのだと思います。
今週末も、相変わらず我が家は泥だらけの靴と格闘する日常が待っています。「すごいパパ」を目指すのではなく、子どもたちにとっての「いつものお父さん」として、今日も当たり前に育児に向き合っていきたいと思います。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
この記事を書いた人

























